片言隻語

第3回 図書館とは何か:図書館は健全な民主主義社会の基盤

   図書館とは何かと問われると、現在の日本人の多くは現行の公共図書館を念頭に、無料で図書が読めるところ、本が借りられる所と答えるであろう。何故このようなことになったのか。それは日本の現在の公共図書館が娯楽用のベスト・セラ-本、通俗的な娯楽小説等を利用者の求めに応じて大量に(何セットか「複本」まで用意)収蔵し、利用者に貸出し(これをリクエスト・サービスと称する)、図書館の業績を貸出図書冊数の多少によって評価すると言うあまりに安直な図書館経営に終始した結果なのである。本来図書館とは価値ある記録物を収集し、これらを利用に供する施設であったはずである。時代と共に、価値ある記録物は価値ゆえに印刷という複製手段を用いて、複製物を作成するようになり、図書館の蔵書もそれらの印刷・複製物が主流になった。図書館蔵書とは単に出版された書物を自動的に受け入れ、保存するだけでなく、出版された書物の価値ある書物之組み合わせ、群としてそれぞれの書物の持つ情報内容が相互に影響して、より高度な知的情報創造を可能にする情報資源空間を構成している状態を言うのであり、これらの図書館蔵書を構築しうるのは高度な知的専門職である司書の責任でもあり、この蔵書が価値あるものであったから、それらを保有する図書館はその存在自体が社会的な権威になった。図書館とは単に行政サービスとして自治体の首長や、議会議員が人気取りのために安直に公的財源を工面して施設を創り、地元の書店に予算額を示して書籍の本棚を埋めるだけの発注をし、司書資格を保有する職員を公募し、頭数さえ揃えれば図書館が創れると言った安易なものではない。図書館とは知の巨人とも呼びうる人たちが永い時間をかけ、知的情報資源として価値ある書籍の集積を形成し、社会的にも文化の基礎となってきた。それ故にこそ図書館の持つ蔵書とその蔵書の構成には広く文化的、学術的価値が認められ、歴史的には、このような価値ある図書館蔵書の図書館は王侯貴族階級の所有物となり、庶民は図書館からは遠ざけられたし、識字率の面からも図書館の利用からは縁が遠くなってきた。この状況が一変するのは西欧においては市民革命である。欧米では18世紀後半に至り、啓蒙主義の時期を経て一般市民が政治的にも実権を持つ民主主義体制が確立するようになると、衆愚政治に陥らないためにも社会的な啓蒙的な基盤を整備する一環で、公共図書館になる解放された図書館の存在が不可欠になった。こうして近代的な市民社会の形成のための主権者の健全な養成のために、主権を有する健全な成人の養成のための学校教育に加え、健全な主権行使のための情報を有する市民、主権者の育成と存在のための社会教育の基盤として公共図書館は不可欠となる。これこそ現代の公共図書館が担うべき最大の使命であって、それ故に公共図書館を単なる無料貸本屋にしたり、納税者に対する申し訳程度の行政サービス機関にしてはならないのである。

 最近若者の活字離れが顕著であると言われる一方、新聞・放送等のマス・メディアに対する社会的不信感が国内外で広がっている。このような状況の中で、公共図書館もまた、地方財政の縮小の影響を受け、縮小の基調にあると言われる。その結果、図書館のサービスも、例えばレファレンス・サービスにしろ、アウトリーチ・サービスにしろ、ひところから比べるとその活動は縮小されたり、より低調な状況にある。これを生物学上の概念である「バイオトープ(biotope);小生態圏、生物が共通の生活環境を持つ地域」に擬えると、図書館のサービスを利用者が共有するサービス圏を「ビブリオトープ(bibliotope)」と言う事もできよう。この「ビブリオトープ(bibliotope)」概念を使って理解を整理することもできるかもしれないが、このbibliotopeの考え方をたんにより縮小された生活環境の中での適正生態の模索という風に捉えると、経済学でいう縮小均衡の状況の模索ということにも繋がり、これは決して図書館の世界の発展や拡大成長にはつながらない。21世紀の社会は20世紀とは異なり、単純に拡大成長すれば全ての人がハッピーな状態になれるとは限らない社会であろう。 だからこそ、bibliotopeといった考え方にも配慮しなければならないのであろうし、そこでの真摯な検討の結果、成熟社会、少子・高齢化社会、低成長社会等.における図書館の在り方も見えてくるのかもしれない。

(掲載日:2018年9月27日)

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