<年頭の辞>

塾長:高山正也

   塾長:高山正也

日本の図書館の今までとこれから


 2019年が明けました。新年おめでとうございます。
 皆様のご健勝とご多幸を祈るとともに、日本の図書館にも新たな活気が満ち、実りある発展を実現できるように期待し、微力を尽くしたいと存じます。
 今年は5月1日に新天皇陛下のご即位があり、新しい御代が始まるとともに、30年にわたり慣れ親しんだ平成の御代が終わる年でもあります。この歳の年頭にあたり、来し方を振り返り、日本の図書館の変遷を辿ることで、新しい御代における我らが日本の図書館のこれからの姿の一端が窺えるかもしれません。
 今年(2019年)は単に御代替わりであるだけでなく、現代の日本の、特に情報空間の基盤を形成している日本の占領、戦後の開始から74年、サンフランシスコ講和会議による日本の独立回復から67年の時間が経っています。要するに約70年程度の時間が経つと、一度形作られた社会的な制度や慣行もそこに大きな変化が生じてくると言うことが経験的に、洋の東西、日本の国内外を問わず明らかになっています。即ち、国際金融資本を後ろ盾とし、第二次世界大戦後の世界を支配したグローバリズム信奉者と結託し、自称リベラルを名乗ったり、フランクフルト学派を盲信したりしたジャーナリストの仮面が世界の各国で次々に暴かれ始めました。2015年前後から、特に、新聞や地上波放送などを中心とするオールドメディアに依存したジャーナリズムの報道への社会的な信頼が揺らぎだしたことは皆様お気づきの通りですが、具体的には2016年の米国大統領選挙の報道や2017年の日本のいわゆる”モリカケ”騒動”とその報道に見られるように、所謂オールドメディアに対する社会の信頼は一挙に失墜しました。この事は戦後の占領下を含む日本の社会をはじめ、先進西欧諸国に見られるような、ジャーナリズムの論調が民主主義の基盤たる情報空間の基盤となり、それを補完するために社会教育機関たる図書館を置くという社会体制の崩壊、言いかえれば図書館、特に公共図書館の使命とも言える、健全な公民の情報源となり、健全な民主社会の基礎的な社会教育機関となるという体制の放棄・崩壊を意味することでもありました。この様に、オールドメディアの提供する情報が不信視されて、特に若年層を中心に、ジャーナリズム離れが起こる社会において、図書館が社会教育機関として、主権者にジャーナリズムの世界を補完する形で情報提供を行うことをその社会的な任務の一部にでも掲げ続けるなら、図書館は何をどうなすべきなのかを以下に考えてみたいと思います。
 日本の戦後社会で言われた如く、図書館、特に公共図書館が民主社会の主権者に対する情報提供体制構築のもっとも基本的な社会インフラストラクチャーの一端を担うとするなら、その情報収集体制、即ち蔵書構築の方法や対象の見直しが不可欠でありましょう。その理由は言うまでもなく、現行のオールドメディア不信の原因の一つに、インターネット普及等に依る情報流通経路の多様化や、情報のデジタル化があるからであり、それにより、既存オールドメディア、特に新聞、地上波放送の流すニュースがフェイクニュースであることが暴露されてしまったからであると思います。この様に図書館を取り巻く、社会の変化が図書館の活動やあり方に大きく影響していることは言うまでもありません。そのような図書館の環境変化がどうであったか、平成時代の30年間を振り返っておくことも全く無意味ではないと思います。ご承知のように平成時代は1989年に始まりました。その平成時代の日本の図書館の変化は概ね以下のようなものでした。
 1980年代の日本の図書館は、特に公共図書館にあっては未だ1960年代末からの「中小レポート」の影響、特に図問研を中心とする「資料提供機能が公共図書館の『本質的、基本的、革新的』な機能であり、中小図書館こそ公共図書館の全てである」との考え方が大きな影響力を持っており、貸出至上主義の図書館サービスが、開架書架、無記名閲覧票の採用、貸出方式の簡素化などの形を取って、全国の各自治体に広がっていく時代でもあったのです。(*現代日本の図書館構想 勉誠出版 2013、p.286.)
 ところが平成になって、すぐの1990(平成2)年、東京証券取引所の日経平均株価に象徴される、それまでバブルに沸いていた日本経済が暗転しました。東証の株価水準はその後、戻しはしましたが、平成の30年間、ついに1989年時点での水準には回復せずに今日に至っています。失われた20(30?)年の始まりです。
 この失われた20年の時代に多くの変化が図書館の世界には生じました。その多くの原因は公共図書館の世界では設置主体である自治体の財政事情の悪化と情報技術革新に起因しています。自治体の行う業務の効率化が問題となり、公立の公共図書館は当然その中に巻き込まれました。その結果、単純労働分野を中心に、専門職化されていない分野の業務執行の外生化が推奨され、この結果、図書館業務の外部委託、指定管理者による図書館運営などが図書館経営の主流となりました。
 またこの間に図書館に関連する情報技術分野の発展・革新も大きく進みました。図書館の情報デジタル化対応は単に図書館の伝統的な出版流通におけるデジタル化対応だけではすまないことはご承知の通りです。デジタル化された出版物対応だけを考えていればよいというわけにはゆきません。収集対象となる出版物の形態がデジタル化すると、それらを単純に蔵書に加えるだけでなく、それを利用するためのサービスの形態が変わります。すなわち、従来のように図書館蔵書の利用のためには来館利用が原則ではなくなったのです。非来館で、自宅の書斎のデスク上から図書館所蔵のデジタル資料の利用は可能ですし、その場合に利用する資料は図書館の書架上に配架されている必要はなく、出版社のデータベースに直接アクセスしても、全く支障なく利用できます。また複本の必要もなくなり、非来館であれば、図書館が近所に無くとも、極論すれば外国とか、地球の裏側にあっても、いつでも利用可能です。デジタル蔵書となれば、書架がなくとも問題はありません。書架や書庫のスペースはより有効な図書館サービスに転用可能です。加えて、従来からの蔵書構築の対象である情報の種別の見直し・拡大、すなわち、伝統的な出版物や、音楽レコード、映像等に加え、アニメ、ゲーム、SNS等を図書館蔵書の対象としてどうするかは喫緊の、しかも根本的な課題となっています。この問題は図書館の在り方、図書館や社会の情報管理の構造を基本的に見直すことを迫ります。インターネット環境の拡大・浸透や、様々な既存メディアのデジタル化等への対応は図書館界の社会環境の変化への対応の問題でもあり、不可避の課題です。ただ、これからの図書館活動のあり方を考えると、利用者の情報行動の変化などを考慮に、図書館だけに視野を限定することなく、より広い視野の下で、例えばフェイクニュースにより信頼を失墜したジャーナリズムの世界の動向の如何に関わらず、図書館は常に情報サービスを行う社会的な機関としての適切な変化を志向する必要があると考えられます。その一例はデジタル化情報のうちの図書館蔵書構築の一環に取り込むことになった情報の書誌コントロール、目録記述、検索用タグとしての索引などをどうするかの問題でもあります。さらには爆発的に増大するであろうデジタル情報を適切に管理するために、その情報内容を正しく把握するデジタル情報の抄録の問題も生じるかもしれません。
 図書館利用者の図書館サービス上に見られる変化としては年代層別の図書館の利用上の大きな変化が起きるかもしれません。その理由は最近よく言われることではありますが、若年層の活字離れ、新聞、雑誌、図書類の利用(購読)の割合が低下している事です。
 図書館が留意すべきもう一つの別の視点は、デジタル化がいかに進行しても、図書館に紙媒体蔵書の形で蓄積されてきた膨大な人類の知的文化遺産をいかに継承するかという問題です。従来は紙の資料の劣化防止、保存対策として論じられることが多かったのですが、本来この問題は過去の遺産を理解・咀嚼し、それらを基に新たな文化の創造に向かうと言うクリエイティブな仕事であるべきだと信じています。このためにも、司書の対利用者、対蔵書に対する取り組み姿勢の再検討も必要かもしれません。司書にとって、蔵書は単に配架の対象であったり、そのための分類や目録記述で全て終わりではなく、司書は一点、一点の蔵書に記述されている情報内容を十分に読み込み、内容知識にも精通し、利用者に対する読書相談、レファレンス・サービス、読み聞かせ等に際しては、蔵書の読み込みによって得られた深い理解力に基づく知識に裏付けられたサービスが求められ、また提供もできるはずです。場合によっては、今後一層過激に進行するかもしれないジャーナリズムの極論化、あるいはフェイクニュースの発信・拡散の激化するなかで、その情報の歪みを図書館が是正することを社会が期待するかもしれないのです。
 こうしてみると平成が終わろうとする現在、図書館のなすべき仕事や課題は量的に多く、質的にも高度なものがあると思います。
 年頭にあたり、このことを想起し、皆様とともに、私たちライブラリー・アカデミーは日本の図書館界、知的情報の世界の新時代の幕開けにいささかの貢献ができればよいと念じています。各位のご支援、ご協力をお願い申し上げ、年頭のご挨拶に代えさせていただきます。 (文責:高山正也)

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